INTRODUCTION





 雪山のなかに山小屋を建て、その傍らにリフトをかける。キャンピングカーを組み上げ、アラスカに出かける。 少年が描く夢のようなアイデアを自分自身の手で実現させるスノーボーダー、マイク・バシッチ。

 アウターウェアブランド、241のファウンダーであり、プロスノーボーダーとして28年もの間を駆け抜けてきたマイク・バシッチは、’90年代にはトップコンペティターとして世界中の大会を転戦したのち、撮影などのクリエイティブなスノーボーディングに活動を移した。

 その後マイキーが発信する作品の数々は、世界中のスノーボーダーを驚かせた。ライディングしながら自分自身を撮影するセルフシューティングの作品やスノーボードの歴史に刻まれたヘリドロップなど、独創的な発想で誰もしたことのないことをやってのけた。そして、みずから組み上げた山小屋とリフトを有するプライベートゲレンデ“Area-241”や、最高の雪を追いかけるためのキャンピングカー。類まれな環境で育った幼少期より培ってきたDIY精神を昇華させた活動の数々は、つねに注目を集めている。

 クリエイティブなマインドでスノーボードに向き合い続けるためのヒントをマイキーの言葉とライフストーリーから探求する。



BACKGROUND





241 mike basich


’06年、まだ自撮りという現代の言葉が常用語として存在しない時代、アラスカの上空36mからヘリドロップするマイキー
Mr.クリエイティブが世間を驚かせた歴史的一枚。 
Photo: Mike Basich





マイキーはどんな子供時代を過ごしましたか?

かなり珍しい子供時代を過ごしたよ。3年間ホームスクールをして、その後はシュタイナー教育の学校で学んだんだ。5歳から13歳までは持病だったてんかんと向き合う日々だった。それを乗り越えることができて、それからスノーボードに出会って世界中を滑って旅する生活ができるようになったんだ。’85年ごろに姉と一緒にタホのドナースキーランチでスノーボードを始めて、メタルフィンが付いたウッドボードにハイバックなしのバインディングで滑りまくってたよ。

プロスノーボーダーとしてのキャリアが始まった頃の話を聞かせてください。

スノーボードを始めて5年後の’90年にプロになって、初めてスノーボードでお金を稼げるようになった。翌年にはワールドカップに出られるようになって、ろくに学校には行かずに日本やヨーロッパの大会を転戦したよ。高校を卒業してから10年間は世界中を飛び回る生活だった。

スノーボードの黄金期と言われる時代に活躍をして、恵まれた環境でプロ生活をしていたと思います。コンテストの世界から、撮影などのクリエイティブなスノーボーディングに活動を移した当時の気持ちを聞かせてください。 

大会での競い合いの世界にはもう疲れてたんだ。それもあったし、スノーボードの写真にはもっといろんな可能性があるんじゃないかという思いもあった。その可能性をプッシュするために自分のライディングを自分自身で撮る、セルフィーの写真を撮り始めたんだ。当時はセルフィーなんて誰も呼んでなかったけどね(笑)。重いカメラバッグを背負って山に入って、撮る側とライダーの一人二役をこなすのは本当に大変だった。それでも、僕が見ているスノーボーディングを表現できる新しいアイデアだから本気で取り組んでいたよ。’99年からセルフポートレイトを撮り始めて、15年間撮りためた写真を 『The Frozen Chase』という写真集にした。 写真を極めていくのは自分を表現するいい手段なんだ。



the frozen chase mike basich マイク・バシッチ


『The Frozen Chase (’15)』







ストームを追いかけて、いい雪を滑るためにモノづくりをする





幼少時代から木工などのモノづくりを始めていたと聞きましたが、どんなものを作っていたんですか?

3、4歳の頃から自分の作業台があったし工具も使っていたから、その頃から本当にさまざまなものを作っていたよ。どんなものでも自分で思いついたアイデアを形にすることを両親は許してくれた。10歳くらいの頃には、自分で作ったものをフリーマケットなどで売り始めて、ビジネスの基礎を学んだんだ。モノづくりやビジネスの経験はスノーボーダーとしても生きていると思うし、Area-241やタイニーハウス、241のアウターウェアを作り始めたころからすごく役に立っているよ。








プライベートゲレンデ付きの山小屋、Area-241をみずからの手で作り上げたストーリームービー“A Snowboarder’s Unbelievable Tiny House”





モノづくりの際に、大事にしていることはなんですか?

山で過ごす時間がとにかく好きなんだ。自分の好きな場所で、どれだけ快適に過ごすことができるのか。そのシンプルなことを追い求めることが重要だと思っている。追求していいモノづくりができれば、リッチな生活ができる。お金持ちという意味じゃなくて、心が豊かなライフスタイルが送れるという意味でね。人間はもともとストームを追いかけたり、山で使う道具と一緒に生まれてくるわけではない。だからこそ創造的になって、モノづくりをしていくあらゆる可能性を持っているんだ。それを突き詰めていけば自然のリズムと調和したライフスタイルで生きていくことができると信じてる。自然のなかで過ごしていると、本当に必要なものや何が一番大切かを教えてくれるんだ。

241のアウターウェアをはじめ、プライベートゲレンデやタイニーハウスまで自分で作ってしまうクリエイティビティ溢れるライフスタイルに驚かされます。自身を動かす原動力は? 

なんでも自分で作るのが好きだし、スノーボードとそれ以外のパッションをミックスさせるのは自然な流れだったね。自分にとっての夢の遊び場として作ったArea-241も、そのほかに作ってきたものも、山に対する愛とクリエイティブでいることの大事さを伝えることができる。そして、それが自分自身のスノーボーダーとしてのキャリアにもつながっていってると思うんだ。ストームを追いかけて、いい雪を滑るためにモノづくりをする。山で使いたいものを作る。それが241をやっている一番の理由。そういう思いが今も変わらず、スタートしてから30年が経つんだ。








ピックアップトラックで牽引するトレーラーハウスを組み上げた“Trailer Project vol.2(日本語字幕)”









DREAM CHASER





241 mike basich




 “Dream Chaser”はマイク・バシッチが手掛けた自走式のタイニーハウス。プライベートゲレンデや天然石を組み上げた山小屋。スノーボーダーなら誰もが一度は夢に見るアイデアを実現させたマイキー。そして、Trailer Projectで組み上げた牽引式タイニーハウスの製作を経たマイキーは「もっとイージーに動き回れるよう、コンパクトなものにしたかった」と、このプロジェクトのスタートを振り返る。

 “いい雪を滑るためにモノづくりをする”という自身の信念におもむくまま、2016年に新たなプロジェクト“Dream Chaser”の製作を開始。ミニマリズムを追求し、自然と密接したライフスタイルをおくるマイキーならではの発想から誕生した、パウダーを追いかけるための最強の相棒が“Dream Chaser”だ。

 マイキーのあくなき探求心と尽きることない創造力の結晶、“Dream Chaser”は、アラスカを目指すために作られている。旅をするなかで重要な要素のひとつ、機動性の良さと快適性。これまでの経験を活かした設計とアラスカでのスノーボーディングには欠かせないスノーモービルを搭載可能。プレイグラウンドとなる斜面の近くにベースを張り、朝起きればすぐにスノーモービルで走り出す。自然のリズムにどっぷりと浸りながらビッグフェイスに向き合う究極のトリップスタイルを過ごすことができる。まさにスノーボーダーにとってこれ以上のない贅沢だ。



 アラスカを目指す旅の相棒、“Dream Chaser”へ詰め込んだマイキーのこだわりをここでは紹介しよう。







241 mike basich


ベースとなる車両は、運転席の真下にエンジンルームが配置され、車長を抑えながらも居住スペースを最大限にとれるキャブオーバー型の三菱製4WDトラック。
設計はもちろん、居住スペースの鉄鋼組も自身の手で組み上げる





241 mike basich


自然光を存分に取り入れた設計のキッチンは料理を楽しむのに十分な設備を完備
水道や排水までもしっかりと計算されている





241 mike basich


ベッドに可動式テーブルを取り付けたダイニングスペース。濡れたギアを乾かすのに最適な薪ストーブや床下には小さなバスタブまでセット





241 mike basich


側面の大型ハッチは室内とアウトドアの境目をなくす魔法の扉。アラスカトリップをともにした美谷島 慎と絶景のレイクサイドで乾杯








Trailer Projectの完成から間もなく、アラスカで滑ることを目的に設計、ビルドしたDream Chaser。男心をくすぐる製作動画、“241 MikesDreamChaser”









INFINITE CREATIVITY









クリエイティブでいられるかどうかは、年齢なんて関係ない







スノーボーディングとモノづくり、共通する部分はなんですか? また、“自己表現すること”にブレずに向き合い続ける情熱はどこから湧いてきますか?

スノーボードが好きで、板に乗って新しいことにチャレンジするためにモノづくりをする。どこかが共通しているというよりは、すべてのプロセスが繋がっている。僕は頭のなかにアイデアが浮かんだものは作らないと気がすまない性分なんだ。アイデアを形にしたい衝動そのものがクリエイトするエネルギーの源さ。それに、僕みたいなベテランがこのシーンで積極的に動いて、若いライダーたちにどんなことが実現可能なのかを見せて、いろんな可能性を感じさせることが大事だと思うんだ。それが下の世代にとって、山や自然を愛するきっかけにもなる。

夢のようなアイデアを具現化するのは、簡単ではないと思います。モノづくりをするなかでミスや問題が発生したときはどのように対処していますか?

初めて作るものなんかは特に、工程をミスをしてしまうと大変なことになる。でも、間違いをしてしまうのはプロセスの一部とも言えるんだ。難しければ難しいほど、その経験は財産になると思っているよ。

真っ直ぐにスノーボードに向き合い続けるために必要なことはなんだと思いますか?

なにごとも全力で取り組むこと。スノーボーディングと山を愛しているからこそ、何かクリエイティブなものを生み出せると思うんだ。それはスノーボーディングにおいてもっとも重要なことのひとつだし、クリエイティブでいられるかどうかは、年齢なんて関係ないだろ? フレッシュなマインドを持ち続けている限り、このシーンで新しいことを生み出し続けられる可能性は無限大にあると思っているよ。







何をするべきかっていうのは自分の心が教えてくれる







マイキーのように柔軟な発想で人生を楽しむための秘訣があるとすれば、なんですか?

それの答えは、自分自身の心がわかっているはずだよ。心はなによりも色濃く自分を映し出していると思うんだ。自分自身のすべての根源であり、進む道を決めるガイダンスでもある。この地球に生まれて、何をするべきかっていうのは自分の心が教えてくれる。

最後にスノーボーダーに向けてメッセージをお願いします。

自分自身を表現して生きていこう。みんな、キミがどんな人物なのか知りたがっているよ。







241 mike basich






 マイキーが手掛けたモノづくりの数々は、作るという行為だけでは決して終わらない。驚くほどのDIY精神をもって作られた逸品の数々はすべて、フィールドで楽しむためのツールなのだ。



 最後にマイキーにこれからのプランを問いかけると、「進行形のプランはないけど、夏になると雪が恋しくなってきて、また新しいアイデアが湧いてくると思うよ」と、彼のライフスタイルを象徴するような答えが返ってきた。雪が解け、冬が過ぎ去ったとしても、マイキーはカリフォルニア・レイクタホの夏の乾いた空気を感じながら、冬のイメージを巡らせ続ける。そこから湧いてくるパッションやイメージをたった数ヶ月のシーズンに詰め込めこんで、全開で楽しむ。それは、多くのスノーボーダーに共通するマインドではないだろうか。



 山と雪を愛し、自分の心を信じて行動し、シンプルに生きる。そしてなによりも滑ることに対する情熱を持ち、人々が憧れるような生き方を体現するマイク・バシッチ。きっとこれからも多くの人々を驚かせてくれるに違いない。

















241 mike basich マイク・バシッチ


マイク・バシッチ / Mike Basich 1972年10月、カリフォルニア生まれ。28年のキャリアを誇るプロスノーボーダーであり、アウターウェアブランド、241のファンダー。日本を含む世界中のビッグエアコンテストを転戦後、クリエイティブなスノーボード活動に表現の場を移す。ブレない情熱と斬新なアイデアに溢れたDIYマインドで、凡人には実現不可能とも思えるさまざまなアイデアを実行し、その表現の幅はとどまることを知らない。

Sponsor:241, Nidecker Snowboards, Flow Bindings, Clif Bar, Outdoor Tech, Goalzero