INTRODUCTION

 スノーボーダーたちの欲望は至ってシンプル。「好きなだけ、好きなように滑りたい」。これに尽きる。パークにハマっていれば、自分のイメージしたトリックを気持ちよくメイクしたい。パウダーを求めるなら快晴のもと、面ツルの新雪で思う存分スプレーを上げたい。雪山で自分の欲望を満たしている真っ最中だけは、日々の生活でのルールや面倒なことは忘れられる。そんな時間を多く過ごすほど、スノーボードの魅力に取り憑かれていく。だが、問題なのはタイミング。グッドコンディションの日に雪の上に立っていることがができるのか、ということ。今日だけは! という日に限って滑ることができない。そんな経験があるスノーボーダーは多いはずだ。
 とはいえ、世の中には絶好のコンディションの日に“いるべき場所にいる”人たちも例外的に存在する。Death Labelファミリーだ。もちろんチームライダーたちは毎日のように滑る。ライダーたちは自分の滑る姿を多くの人々に見せる広告塔だから当然かもしれない。だが、Death Labelはブランドディレクターもスタッフも総出で滑りまくっているのだ。リアルスノーボーダーが運営するスノーボードカンパニーであればライダーたちもコアで、粋な連中に違いない。

 本記事ではDeath Labelの中心メンバーたちに話を聞くとともに、日本が誇るライダーズファミリーの板作りのマインドを紐解く。



PARK TO AK

 自由で独創的な活動と斬新なプロダクト開発を求め、2007年にスタートしたDeath Label。ジブやバタートリックで扱いやすいソフトフレックスのボードから、コアライダー向けのフリースタイルモデルまでカバーし、パークヘッズたちが絶大な信頼を寄せるボードラインナップが魅力だ。
 一方で、2008年には棺桶を思わせる斬新なシェイプを採用したThe Coffinを発表。新雪やバックカントリーのシーンで活躍するパウダーボードラインの展開をスタートした。こだわりのシェイプの板を彩るグラフィックは、いわゆる「パウダー専用のトンガリボード」とは全く異質のアグレッシブでパンクな仕上がり。パークだけでなくパウダーにも傾倒し始めたフリースタイラーたちを中心に、Death Labelの名が刻まれたフリーライドボードは瞬く間に日本のシーンに浸透していった。

 「スタート当初の日本のマーケットは、明らかに日本のマーケットサイズには多すぎる量のスノーボードが海外ブランドにより日本に大量に流れてきていた。それを見ていて、ささやかながらも海外からの黒船に対する抵抗だ! という気持ちもあった。ボードのシェイプ、フレックスを納得のいく設定にするには、ブランドを立ち上げて自分で作るしかないと思った」。ブランドディレクター・大川氏が語るように、Death Labelはどの板をとってみても日本人の体型に合わせたアウトラインとフレックス設定のものばかり。そのボードたちは“その板に乗って、滑りたい場所を気持ちよく滑ることができるのか”という究極にシンプルな滑り手の目線で作られている。

 フリースタイルトリックに明け暮れる時代、圧雪コースから世界を広げパウダーに狂った日々、アラスカのビッグマウンテンへの挑戦。自分たち自身が乗りたいボードを追求しながら滑り込んだ結果、パークのジブアイテムからジャンプ、バックカントリーラインまでカバーするラインナップが完成。その筋の通った多様性こそがDeath Labelの真骨頂だ。





WORLDWIDE COMMUNITY

 インパクト抜群のブランドネーム、斬新なシェイプのボードとエッジの効いたグラフィック。Death Labelは今や世界から注目を集めるジャパンブランドとなった。

 「正直、自分から海外に向けて売っていこうっていう考えはなかった。他国からのオファーで今に至るけど、海外進出はどこまでいけるのか試しながら楽しんでいる感覚。なんせ世界中に新しい仲間ができて、そいつらを頼って世界中に滑りに行けたり、旅ができるのがすごく楽しいし幸せ」と大川氏は語るように、海外進出はスノーボーディングと板作りに真摯に向き合い続けてきた結果に過ぎない。そのマインドに共鳴した世界中のライダーたちがチームに加入し、Death Labelファミリーのコミュニティはグローバルレベルで拡大中だ。

 アメリカとヨーロッパ、そして日本、各地のキーパーソンにブランドとの関わりやそれぞれのスノーボードに対する考え方を聞いた。



PJ Gustafsson – PJ・ガスタフソン


pj gustafsson detah label




出身地はどこ? PJは普段どんなライフを送ってる?

スウェーデンのクムラ育ちで、今も地元に息子ふたりと娘、婚約者と住んでいるよ。冬はサレンというスキー場から10分の場所にキャビンを持っててそこをベースにしてる。Kaleidoscope Skateboard Co.というスケートブランドを経営をしながら、冬はあちこち行ったり来たりしてるけど、なるべくサレンにいる時間を多く作るようにしてる。家族も全員滑るし、キャビンの裏庭にレールパークも作ったんだ。最高だよ。

どんな経緯でDeath Labelに加入したの?

俺は同じイメージを共有できるカンパニーの板が乗りたかったんだ。スノーボーディングはスポーツじゃなくて、生き方そのものだからね。2007年に意見の不一致で前のスポンサーとの契約更新をしなかったんだけど、同じ頃にDeath Labelの存在を知ったんだ。ブランド名も板のグラフィックもかっこいいと思ったし、自分からDeath Labelにメールを送って乗りたい意思を伝えたんだ。それで2008年に自分が外国人初のDeath Labelライダーになって、今に至る。Death Labelはただのスポンサーじゃない。俺の家族であり、ホームでもある。死ぬまで俺はDeath Labelだぜ!

日本のチームライダーともセッションしていたよね。彼らの印象は?

日本のライダーのみんなと会ってるけど、チームは最高だね! 特にタツヤ(南雲)とユウジ(東)、マサキ(入江)とはたくさんの時間を過ごした。彼らはリアルなスノーボーダーだし、山にいるときも、ただ一緒に遊んでるときでも楽しいヤツら。Death Labelスタッフと同じく家族同然だと思ってるよ。

Death Labelの魅力とは? お気に入りのプロダクトは?

すべて。魅力しかないよ。
気に入ってるプロダクトはBonelessとMadmaxかな。自分のメインボードとしてもう9シーズン乗ってる板だね。Madmaxはジブをするならパーフェクトだし、春のシャバ雪のパークでも最高の板だよ。Bonelessはなんでもどこでもイケるボードだからずっと俺のフェイバリットだね。

2月に来日していたけど、日本の山やストリートで印象に残ったエピソードを聞かせて。

パウダーももちろんそうだけど、前から知ってる友達との再会や新しい出会い、おいしい食べ物、毎日大量のビールとSAKE、最高のパーティ、ポコチン博物館、アバランチパーティ、東京のロボットレストラン、そしてなによりスノーボーディング…すべてがベストな思い出だね。こんな素晴らしい景色の山を今まで俺は滑ったことがなかったよ。山の地形もいいし、いろんなことができる可能性があると思う。ストリートも街や建物の作りが違うから、スウェーデンではお目にかかれないようなヤバいスポットがいっぱいあるね。日本はとにかく最高。

スノーボード以外にハマっていることがあれば教えて。

スケートはこの30年で俺がもっとも情熱を注いでることのひとつだね。今は足首のケガでスケートができないのが残念だけど、スケートは今も俺の人生のもっとも大きなモノのひとつだよ。あとは、パンクとかヘビーメタルとか音楽も好きだし、パーティで遊ぶのも外せないね。

PJが自分の滑りを通して伝えたいこととは?

ルールなんかないから、好きなことやろうぜってことかな! どうやって滑るべきかも、どんな格好するべきとかそんな決まりはないから、自分で自分の道を行くしかないよね。人の真似なんて必要ないよ。みんながやってるからって、パンツの裾をロールアップして、デカいミトングローブをして滑る必要もない。流行なんて気にせず、自分のスタイルでいこう。オリジナリティとアツい気持ちを忘れずに、自分らしく滑りたいように滑って楽しもうぜ。GGアリンを聞くことも忘れるな!


pj gustafsson Death Label








ANDREW BREWER – アンドリュー・ブリュワー


andrew brewer Death Label




出身地はどこなの?

南カリフォルニア生まれ。父親が空軍関係者だったから子供の頃はいろんな土地に住んだよ。でもホームタウンといえるのはコロラドのモニュメントかな。2006年からはネバダ州のリノに住んでて、ソルトレイクシティと行ったり来たりしてるよ。

スノーボードにハマったきっかけは?

コロラドにいた頃スケートに夢中になった。でも雪が降ったらできないから、冬はスノーボードしかやることがないんだ。初めてスノーボードした日からめちゃくちゃ楽しくて、すぐに好きになったよ。

Death Labelに加入した経緯を教えて。

日本に初めて来たときにDeath Labelの板を初めて目にしたんだ。名前がヤバいし板もいい感じのデザインだしね。前のスポンサーを辞めることが決まっていたから、自分が乗りたいと思える板に乗りたかった。その後、PJを通してDeath Labelとコンタクトを取り始めたことがきっかけで加入したよ。

Death Labelの魅力とは?

なんと言っても人だね。日本に来てクルーのみんなに会えるのは最高だったよ。みんないつも本当によくしてくれるよ!

お気に入りのプロダクトとその理由は?

自分のシグネチャーはもちろん気に入ってるよ。それ以外で言うとDeath Series LTD 2かな。あの板はどんな場所でもバッチリ。板以外だとコーチジャケットもフィット感が完璧で最高だね。

ビッグスポットを攻めているけど、スポットを選ぶときのこだわりはあるの?

デカいスポットをつねに探してるっていうわけではないけど、自分がいつも一番大切にしていることは、写真や映像にしたときにどう映るかってことをイメージしてる。

2月のジャパンツアーで山やストリートをまわって印象に残ったことはなんだった?

間違いなくパウダーだね。3度目の日本だけどやっと初めて日本のパウダーが滑れたんだ。超良かった。アバランチ・オオカワもね(笑)。山も最高だし。いつも驚いていたのはどのスキー場に行ってもパウダーが残っていたこと。それはアメリカじゃありえないからね。ストリートのスポットは建物がユニークで魅力的だった。どのスポットでもいい感じの映像が撮れたよ。

スノーボード以外にハマっていることがあれば教えて。

ゴルフはめっちゃ好きでよくやってるよ。余裕があれば毎日やりたいくらいだね。あとはバイクかな。ホンダ2台とカワサキを1台持ってて、いじって組み上げたりするのもめっちゃ楽しいんだ。

自分の滑りを通して伝えたいことは?

いや、そんなシリアスに考えないほうがいいよ(笑)。楽しいことをしたいだけ。それで誰かが自分から影響を受けてくれたとしたらめちゃ嬉しいね。


andrew brewer Death Label








TATSUYA NAGUMO – 南雲達哉


tatsuya nagumo 南雲達哉




Death Labelに加入した経緯は?

Death Labelが立ち上げるときに、声をかけてもらって移籍を決めた。以前にサポートしてもらってた前身ブランドのときからお世話になってたけど、Death Labelとしてサポートしてもらってもう10年目。

チームメイトにはどんなライダーがいる?

今はパークからパウダーシーンまで国内外の幅広いジャンルのライダーがいる。Death Labelチームからはいろんな影響を受けて学ばせてもらってます。特に印象深いのは、パウダーボードの開発に携わっている北海道の先輩ライダーの方々。撮影に混ぜてもらってバックカントリーの経験値も上がったし、自宅に泊めてもらってだいぶお世話になりました。

Death Labelの海外チームともセッションもしてたよね。

昨シーズンはアンドリュー、PJが来日して、湯沢をベースに撮影して一緒に過ごしてた。それがキッカケでカナダで開催されたHolly Bowlyにトン(東 裕二)くんとPJと参加したりして。国内外を問わず繋がってライダーみんながブランドを盛り上げようしてる。チームみんなのDeath Labelへの愛着が感じられることも最高だと思う。

Death Labelファミリーの結束感を高めているものとは?

チームの結束感を高めてるものは大川さんを中心として、みんなでスノーボードを一緒に楽しんでいることですね。滑って、飲んで、旅して、笑って。この何年かは夏もみんなでサーフィンの大会に出たり、神輿担いだり、冬以外にもみんなで一緒に楽しいことをして。みんなで上げあってきたことから強い結束感が生まれてきたと思う。

Death Labelの広告によく起用されているけど、特に印象に残っている写真はある?

初めてアラスカに行った2013年の広告。このときはとりあえず勢いだけでひとりで行って、アラスカを体感してくるみたいな感じだったから撮影の予定はなかったけど、偶然同じ時期に来ていた日本人のシューティングに混ぜてもらえて。フォトグラファーの遠藤 励さんに撮ってもらった1枚の写真が見開きの広告になって嬉しかった。撮影のときはDeath Labelの広告に使ってもらえるように、いい写真を残そうと意識していたし。

Death Labelでお気に入りのプロダクトといえば?

地元の仲間でもあるアーティストのKengo KimuraとDeath Labelが自然と繋がって、グラフィックを描くことになった、2017-18モデルのMen In Black。彼のグラフィックの板に乗るのが僕にとって昔からひとつの目標みたいなところがあったから、すごい嬉しく思ってる。

湯沢エリアのローカルとして狙ってるプロジェクトや目標はある?

湯沢・南魚沼の山々もまだまだ滑っていない斜面が多いから、地元の仲間と毎年少しづつ開拓していけたら思ってる。

自分の滑りを通して伝えたいことは?

ライダーとして写真や映像でライディングを観てもらい、憧れや目標になれたら有り難いし、スノーボードの自由さや自己表現することの楽しさを感じてもらいたい。自分がスノーボードを初めたときにスノーボードって自由で楽しいと思えた。それをより強く感じてもらえたら嬉しい。自分も長く楽しく続けていけたらいいなと思ってるよ。


tasuya nagumo 南雲達哉 death label










FUTURE


death label デスレーベル




 相通ずる感覚を共有しつつも、それぞれに違う個性と、それをリスペクトし合う国境を超えたコネクション。山や旅でシェアした時間が生み出す結束感でブランディングと板作りをするスノーボーダーズカンパニー、Death Label。このファミリーが新しいフィールドや価値観と出会い、滑ることをやめない限り、Death Labelは現在進行系で進化を続ける。そして、その進化が止まることがないと確信している。彼らはこの先も間違いなく滑り続けていくからだ。