12月のある日、横浜の小洒落たカフェにフラッと立ち寄った。そこの大きなテーブルの上には、異種格闘技戦とも言えるさまざまなジャンルの写真集が無造作に置かれていた。そのなかで、真っ先に目に入った一冊を手にとった。“The Ultimate Ski Book: Legends, Resorts, Lifestyle, and more.”というタイトルのレトロなスキーヤーが表紙の写真集。雪山民族のクセで、どうしてもそういうタイトルに目がいってしまう。
ページを開くと、そこには60〜80年代におけるスタイルプンプンの古の滑り手たちが載っている。今でいう「スキーウエア」を着ている人はもちろん多いが、そうでない場合は山で使うウエアやウールのパンツ、女性に至っては街で使うような毛皮やハイファッションなコートを着ている。とにかく洒落ているのだ。どれもこれも同じような見た目になってしまう現代のゲレンデよりも、ずっとスタイルに満ちている写真の数々だった。
ストリートでは「アウトドアテイスト」が。それとは逆に雪山でも「ストリートテイスト」がもちろんある。街と雪山。ストリートとゲレンデ。場所は違えど、その1本のラインを、思い思いの服を着て流すことには変わりない。
ニューヨークファッションウィークやミラノコレクション等で常連のフランス生まれのブランド、MONCLER。山ギアとしてのニュアンスが強かったダウンジャケットを洗練されたシティウエアとして進化させ、数々のアーティストやデザイナーとコラボし、防寒着としてではなくハイファッションなウエアとして“ダウンジャケット”というジャンルを定着させた。その歴史は深く、極寒のアウトドアフィールドをDNAとして持つ。
そのMONCLERが2010年に高機能なスキーウエアラインとしてスタートさせたコレクション、モンクレール グルノーブルを、クリエイティブディレクターであるサンドロ・マンドリーノのインタビューを交えて掘り下げてみたい。
高みを目指す生粋の
アルパインスピリット
「あったかいジャケット」の代名詞、ダウンジャケット。市民権を得ているどころか、支持率はかなりの物。商店街で井戸端会議にアツくなっているオバちゃんでさえ、あったかいジャケットと言えばダウンジャケットと答えるだろう。そのダウンジャケットの起源は1936年まで遡る。アメリカの冒険家、エディー・バウアーがロシアの伝統的な羽毛の防寒着を派生させたのが始まり。彼は趣味である釣りの防寒着として、スカイライナーという名のキルティング加工に羽を詰め込んだ構造のジャケットを産み出した。それは今もダウンジャケットの基本構造となっている。ほぼ同じ時期、ファッションデザインの世界でも、チャールズ・ジェームスがベッドキルトを彷彿とさせる綿入りのイブニングドレスをデザインした。
1952年、モンクレールはレネ・ラミヨンとアンドレ・ヴァンサンのふたりにより、フランスの山間部のグルノーブル郊外の小さな村で産まれる。モンクレールの名前は、この村の名前であるモネスティエ・ドゥ・クレルモンの頭文字をとったところに由来している。この創立者の一人であるラミヨン、彼は1933年からキルティング生地の寝袋や折りたたみテントなど、フレンチアルプスの麓と言う立地条件を利用して高機能なアルパインギアメーカーを立ち上げていた。その耐久性や機能性が大ヒットとなり、彼のアルパインギアはヨーロッパ中のクライマーたちから大人気となる。
実際、このように村の小さな町工場が世界的なアルパインギアブランドとなるストーリーはヨーロッパにはいくつかある。当時、アルパインクライミングは都会のお金持ちのスポーツであり、彼らはヨーロッパアルプスの麓の村に長期滞在し、地元の鍛冶屋などに特注のアルパインギアをオーダーし、未踏のピークを目指していた。モンクレールも例外ではない。1952年、フランスの登山家でありフランス人として初のエベレスト登頂を果たしたリオネル・テレイはラミヨンが作る工場の従業員用の防寒着に目をつけ、モンクレールに高山用のアタック装備として製造を依頼した。これがモンクレール初のダウンジャケットである。
ラミヨン、ヴァンサン、そしてテレイ。じつはこの3人は第二次世界大戦のためにスキーや雪山登山などの訓練を行う施設で運命的な出会いをしている。そこで3人はきっと目を輝かせてモンクレールの火種を作っていたのだろう。
モンクレールの作るダウンジャケットはテレイ自身も参加した1954年のイタリア隊によるカラコルム登頂隊に装備品として選ばれ、登頂に成功。たちまちアルパインクライマーたちの人気を集めるようになる。その翌年の1955年、テレイは世界で6番目に高いマカルー登頂を目指したフランス隊を牽引し、世界初のマカルー登頂を達成する。このとき装備品として選ばれたダウンジャケットもまた、モンクレールによる物だ。このジャケットは“カラコルム”と名付けられ、2008年までモンクレールを代表する高機能ダウンジャケットとして生産され、そのデザインや機能性は多くのモンクレールが産み出したダウンジャケットに継承されている。
アルパインクライミングのシーンで影響力の強かったモンクレールは、1968年の第10回グルノーブル冬季オリンピックにおけるフランスナショナル・アルペンスキーチームの公式ユニフォームとして起用される。そしてこのオリンピックを境に、モンクレールは現在でも使われている雄鶏とトリコロールカラーのシンボルロゴに変更した。
今も昔も、ヨーロッパのアルパイン文化は世界最高峰と言われている。そのアルパインスピリットこそ、モンクレールのDNAに刻まれているのだ。