EPIC SNOWBOARDING MAGAZINE

渡辺大介 daisuke watanabe k2

INTERVIEW – レーサーあがりのフリースタイラー渡辺大介の第二章

スノーボーダーに不思議なヤツは多いが、その誰とも似つかないスタイルをもつ彼をご存知だろうか。その名は渡辺大介。少々ありきたりな名前だが、その風貌たるものや、一度目にしたら脳裏に焼き付いて離れない。我々はニセコの山で育ったその不思議な匂いを放つ彼に惹きつけられた。話し出すと止まらない彼の物語は、点と点が見事に紡がれたドラマのよう。唯一無二ともいえる彼の軌跡を辿り見えたものは、ひとりのスノーボーダーの選択と結果だった。

 

Interview by Epic Snowboarding Magazine, Photos by Danny Kern, KentaRAW Matsuda
Special Thanks: K2 Snowboarding Japan

 

 

daisuke watanabe 渡辺大介

Photo: KentaRAW Matsuda Location: Niseko BC

 

スノーボードとの出会いはどんな感じだったの?
最初はスキーをやってて、といっても母ちゃんの股に挟まって滑ってるレベルだったんですけど。5歳だったかな。そのときはニセコも静かで、滑ってる人たちもみんな知り合いで。「こんにちは~!」って感じでした。そこである日、スノーボードを見て「カッケー!」ってなって、自分でダンボールを切ってボードを作ったんですよ(笑)。そしたら親がプラスチックのボードを買ってくれて。それが始まりですね。

ダンボールを切ってボードを作る5歳児なんて初めて聞いたよ(笑)。それからもスキーもボードも両方やってたって聞いたけど?
中学生まではスキーとスノーボードを両方やってました。スキー学校に入ってレーシングとかやっていたり、それ以外の時間でスノーボードをしたり。スノーボードのアルパインもやっていたし、フリースタイルもやってました。いろいろなジャンルの大会に出たりしていると友達もできたりで、大会楽しいな~ってなってましたね。そのなかでもクロスの大会は仲間感があって好きでした。フリースタイルの大会があまりなかったっていうのもあるとは思うんですけどね。

 

daisuke watanabe 渡辺大介

 

じゃあ、そこからクロス生活が始まったんだ?
いや、そうじゃないんすよね。中学のときにJSBAのアルペンの大会に出たらいい成績がとれて、高校のスノーボードの監督から「うちに来たらスノーボードできるよ。」って言われて特待生としてその高校に行ったんです。最初は好きにしていいよって感じだったんですけど、「大介! アルペン買っといたから請求書送っておくな!」って感じでそこから強制アルペン生活のスタートで(笑)。でもフリースタイルもやりたかったから、練習終わってゲレンデが閉まる最後の30分とかでブーツ履き替えて滑ったりしていました。全国のアルペンの大会を周っているうちにコーチが「アルペンは強い奴が多すぎるからダメだ! ナショナルチーム狙うならクロスだ!」って(笑)。僕は「ん? ナショナルチーム?」ってなってたんですけど、そこからは強制クロス生活で(笑)。そうしてる間に高校2年の冬にジュニアのナショナルチームに選ばれて。選ばれたからにはどこまで行けるか本気で頑張ってみようと思って、クロスライフを送っていましたね。

部活って感じだね(笑)。モチベーションはどこから来ていたの?
単純に自分がどこまで通用するんだろうとか、勝ちたいっていうのがモチベーションでしたね。あと、クロスやってる人ってほとんどがクロスしかしてない人で。僕は飛ぶのもパウダーも好きだったし、「クロスしかしてねーヤツに負けてたまるか!」っていうのもありましたね(笑)。

フリースタイル魂だね。それから大学に入って、ナショナルチームを目指して海外を転戦。結果を出して、晴れてナショナルチーム入りしたんだよね? W杯ではどうだったの?
そうですね。大学1年から3年くらいまではほとんど日本にいなかったってくらいFISのレースを周っていて、いろいろと大変なことも乗り越えてナショナルチームに入れたのは嬉しかったですね。でも、いざW杯に行ったら、これはちょっとマズいなって。ひとりでどうにかできる問題じゃないかもって思いました。日本代表っていってもチームもかなり小さくて。海外のチームって、大勢っすか? ってくらい関わる人が多い。選手よりバックアップをしている人の方が全然多いんですよ。でも、「俺はイケる!! イケるぞ~!!」って思ってやってましたけどね(笑)。

 

daisuke watanabe 渡辺大介

 

選手として以外にもチームとしての苦労もあったんだね。いまはクロスを卒業してフリースタイルのライダーとしての道を歩んでると思うんだけど、なにかキッカケはあったの?
高校のときに初めてトシキ(山根俊樹)に出会って、僕がニセコにいるときはいつも一緒に滑っていたんです。 大学に入ってレースに集中しなきゃいけないときは、いつも応援してくれてたんですけど、いつの日からか「一緒に撮影しよー」って言ってくれていて。 でも、クロスも中途半端にはしたくなかったから「大学4年まではクロスを本気でやるわ」って答えてました。大学4年の自分のポジションというか、そこでその後どうするか決めようって。そしたら大学最後の日本のFISレースで、それまで高校時代から1回も勝ったことのなかったライバルというか友達に勝って優勝できて。「もうクロス辞めます!」って(笑)。なんかスッキリしちゃって。自分のなかで区切りがついたというか。もともと、撮影とかもっとフリースタイルな動きをしたいって気持ちも強かったから、これからはそっちをやろうって。気がついたらトシキはじめ、ヨウスケ(秋山耀亮)、カメラマンの松田健太郎の4人が集まっていて。その4人で撮影するようになりましたね。もともと、トシキとかヨウスケもひとりで淡々と滑ってたヤツらで、そういうところもちょっと似ていたのかもしれないですね。

 

 

山根俊樹、秋山耀亮、渡辺大介、松田健太郎の4人からなるクルーFight For Libertyによるファーストムービー “0”

 

 

クロスを辞めた時期にK2 Snowboardingに加入することになったんだね。
天神バンクドに行ったときに、天海 洋さんが「うちに来るか?」って誘ってくれたのがキッカケでK2に入りました。憧れでもあった洋さんは本当に小さいときから知ってて、初めてスケートを教えてくれたのも洋さん。「今日ドロップインできなかったらもう来るな!」って言われたのはいまでも忘れません(笑)。誘われた時点でもう気分は乗る気満々で、クロスをやめて、これからはいろいろなところに行ってみたいって気持ちがあったんで、インターナショナルブランドのK2だったらそういうチャンスもあるかなって思いもありましたね。それからまだ2年なんですけど、すごい良い流れになっていろいろと変わってきました。

自分のヒーローにそんなこと言われたら乗っちゃうよね。語学留学もその良い流れのひとつ?
大学を卒業した2015年に英語を覚えたいなって思ってオーストラリアにワーホリで半年行きました。2017年にもスチューデントビザで学校に通いながらサーフィンする日々を送って。海外のいろいろな場所で滑りたかったし、生まれがニセコっていうこともあって、英語は必要かなって。K2がそういう姿勢を評価してくれたのも嬉しかったですね。ただ遊んでるだけなじゃないというか、ちゃんと考えてやってんだそ~みたいな(笑)。

グローバルでやるにはある程度は英語話せないとダメだよね。そういうのもあって、K2のインターナショナルのトリップに参加できたんだ?
去年の自分の誕生日に耳鼻科に行ってたときにいきなり電話があって。「大介! 4月にアメリカ行って欲しいんだけど! 『え? アメリカ!? 行きます!』」って感じで即答。最高な誕生日プレゼントでしたね。

サプライズ狙ってやってたのかな?(笑)。それで1週間くらいトリップに行ってたの?
K2のトリップは1週間くらいの予定だったんですけど、そこから思わぬ出会いがあったんですよ(笑)。

話は尽きないね~(笑)。
天神バンクドに向かうぞ~って、フェリーに乗ろうと思って家を出ようとしてたら、いきなり友達のTK(中井敬也)が遊びに来て。アメリカ人ふたりを連れて登場したんですよ。ひとりは3年前くらいに会ってて、「おー! 久しぶりって」。もうひとりはダニーっていう初めて会うカメラマンでした。TKが「ダイスケは4月にK2の撮影でアメリカに行くんだって! よろしくしてやってよ!」って紹介してくれて。そしたらダニーが「え? そのカメラマン、俺だわ! ヤバイね!」ってなっちゃって。「じゃあこれから一緒に撮影行こうよ!」って言われて、天神バンクドまではもう1日は余裕あったから「せっかくだし、じゃあ行こう!」ってノリで撮影に行くことにしました。そしたらSpring Breakのコリー・スミスたちがやってる撮影に交じってやることになって。コリーも「4月にタホに来るならウチにも遊び来いよ!」って感じで繋がちゃって。ダニーもK2のトリップの後もウチに泊まれよっていうから、結局は1ヶ月くらいのトリップになりましたね(笑)。TKが来なかったらダニーとも出会えなかったし、撮影に行かなかったらK2以外のアメリカトリップもなかったし、K2との出会いも天神だったり。いろいろ繋がってるなって改めて思いましたね。

やっぱり動いていくと出会いやチャンスに恵まれる機会があるよね。それにしても、いきなり凄いの掴んじゃったね(笑)。K2のトリップはどんな感じだったの?
インターナショナルのライダーが集まって、キャンピングカーで春のタホ周辺のゲレンデを滑りながら撮影するって感じでした。あまり詳しいことは聞いてなかったので、集合場所のティム・エディの家に行ったときはめっちゃ緊張しましたね。ダニーの車に乗せてもらって行ったんですけど、ちょーデッカいキャンピングカーが見えてきて、そしたらその周りにいかにもライダーって感じのヤツがウロウロしてて。しかも、よく見たらみんな知ってる有名ライダーばっかりでアガっちゃってましたね(笑)。とりあえず挨拶して、みんな集まったし乾杯! って感じになったんですけど、僕、ビール弱くて1本でデッドしちゃって爆睡で(笑)。それでみんなの心を掴めたかな。お前ヤバすぎない? って感じで(笑)。

酒が弱いのが逆にいい武器になったんだね(笑)。どんな感じで撮影してたの?
合流した次の日はマンモスの春パークに滑りに行きましたね。なんか板履いたら緊張もなくなってめっちゃ楽しめました。ライダーもみんなスタイルが違って、バックカントリー系もいれば、ストリートなヤツもいるしパーク上手いヤツもいて。でも滑るのは普通の春のパーク。ライダーそれぞれが好きなことをやって、それを撮るっていう感じでしたね。みんなスタイルが違うから自分も自分らしくいられたというか、「俺も違うぞ~!」って感じで楽しんでました(笑)。なんか一緒に滑ったらわかるじゃないっすか。そいつの雰囲気とかいろいろと。一気に距離も縮まって、ノンストレスなトリップになりましたね。それにWe Are All EnjoyersってK2のコンセプトでの撮影っていうのもあったからなおさら、楽しもうってなってました。みんなでトレインしたり、ワンスポットでそれぞれが違う遊び方で魅せたり。ただシフティで飛んでくヤツもいれば、いきなり倒立するヤツもいたり、僕はレールの下をターンで潜ったり。派手な技を見せるっていうよりは、どれだけ楽しめるかっていうのかな。みんな好きなことやっててすごい自由でした。そういう雰囲気も良かったですね。

 

 

K2インターナショナルチームによるバンツアーでスノーリゾートを巡るトリップムービー “Pile In Van Tour Pt. 4”

 

 

We Are All Enjoyersっていい言葉。トリップ中はずっと滑りっぱなしだったの?
1週間で5日滑ったかな。移動中はずっとトランプしたりビール飲んだり、夜はボーリング行ったり。途中で雨の日があってショップを巡ることになったんですけど、ビールの箱を買って、K2のステッカーをバババッて貼って、「はい! 遊び来たよ~!ライダー連れてきたよ! ビールどうぞ!」みたいな(笑)。え? そんな感じ? ってウケてましたね。

アメリカっぽいね~(笑)。日本でもそういうスタイルの人もいそうだけどね。K2の撮影が終わってからはどんな動きだったの?
ダニーの周りのライダーとかと一緒に滑ったりしてましたね。モービルも初めてやってみたけど、あれは確実にマッチョになりますね。

モービルもやったんだね。
4月17日にいきなりパウダー降って、ダニーたちが「よし、モービル行くぞっ」てなって、一緒に連れて行ってもらいました。あいつら慣れてるし、ちょー飛ばすんですよね。もう横に乗ってるだけでぶっ飛びましたね。いろいろと(笑)。40分くらい走るといきなりロッキーな斜面がバーって出て来て、みんなは「フォーーー!」ってなってるけど、こっちは「こんな斜面見たことね~(汗)」みたいな。ニセコとか北海道にはあまりそういう場所ってないんですよね。うえまでモービルに食らい付いて登ったと思ったら、周りは全部ノートラックだし、滑る場所はちょっと失敗したら逝っちゃうかもしんない場所とかあるし、全部やべーみたいな(笑)。滑り終わったらいままで味わったことがないくらいのいろんなものが出てましたね。モービルとか海外の撮影にも憧れていたし、K2の撮影からはじまって、いろいろな撮影に参加だったり。俺もこんなところまで来たんだな~とか思っちゃってましたね(笑)。

 

daisuke watanabe 渡辺大介 Danny Kern

Photo: Danny Kern

 

ダニーが昨シーズンのキーマンな感じだね。
そうですね。ダニーはもともとクロスをやってたみたいで。それに同い年。すごい自分の気持ちを分かってくれるんですよね。撮影のときも「Hey!大介!お前アレやりたいんだろ?」ってすごい図星なこと言ってきたり。ちょっと似てるんですかね。それにダニーのガレージとかもカッコよくて影響受けました。キャンピングカーも持ってて、車内の改装とかも手伝って、みんなでキャンプに行ったりとか。「俺もこんなことやりてー!」ってなりましたね。スノーボーダーとしてカッコ良くい続けたいし、そういう憧れというか、そうゆう生活してみたいって思ってもらえるような存在になりたいですね。カッコいいライフスタイルを送りたい。

今シーズンはどんな感じで動いていくの?
アメリカに行くっていうの決まっていますね。ダニーがビデオ作るみたいで、その撮影には呼ばれてて。あっちの奴らはアラスカも行きたいとか言ってて、まだわからないけどそうゆうチャンスもあるかもしれないですね。とりあえず、楽しみでしかないですね(笑)。それと、日本の面白そうなイベントには極力参加したいですね。いままでにいろいろと行ったお陰で、本州とかいろんなところに頼れる仲間が増えてきて、そのとき、その場所を楽しめる環境がやっとできてきた。海外にもそうやって出ていければいいかな。あと、実家のカフェ(Graubunden)の手伝いもしながら滑っているんですけど、逆にそれはそれで調子良かったりしてて。自由に休ませてくれるっていうのはかなりあるんですけど、撮影ってなったら切り替えられるし、限られた時間でベストを出すというか。いままではぶっ続けで滑ってきたから、いまの環境も悪くないなって。ニセコって場所もあって知り合いも沢山お店に来てくれたり、お店の仕事自体も楽しいし、母さんの助けにも、自分の勉強にもなってますね。

シーズンも楽しみだったり、生活も充実してそうだね。大介がスノーボードで目指す先は?
いろんなところに行ってみたいですね。ゲレンデも山も全部。そこでいろいろなことを見て、感じて、それをいつか形にできたらいいですね。クロスやアルペンをやっていたという変わったバックグラウンドは自分の自信にも繋がっているし、英語も勉強してみたりして、どんどんいい方向には動いいてると思う。ライダーとして、まず滑りで評価されて憧れられるような存在になりたい。僕が憧れてきたきたスノーボーダーっていうのはそういう人たちでしたしね。それにいまはオリンピックとか派手なスノーボードが目立つけど、スノーボードはそれだけじゃないってことも表現していきたい。レースとかやってきたから思うけど、みんな勝ちたいって気持ちだけでやっている気がして。みんなもっと純粋に楽しんでよって想いがあるから、あいつ楽しんでるなって、いつ見ても楽しそうだなっていうヤツになりたいですね。もちろん、ライダーとして派手なことが必要なときも多いとは思うんですけどね(笑)。

まさにEnjoyerだね。最後に、大介にとってのスノーボードとは?
人生っていうのは間違いないですね。これまでもずっとやって来たから、これからやらないっていうのは考えられない。「Snowboarding is my language」って感じですかね。ボードがあれば、どこに行っても友達になれる。通じ合うものがあれば共感できる。これを使って、これからもいろいろな世界を見に行きたい。

 

daisuke watanabe 渡辺大介

Photo: Danny Kern Location: Mammoth Mt

 

 

 

渡辺大介 daisuke watanabe k2
渡辺大介 / Daisuke Watanabe
1993年2月21日生まれ。北海道倶知安生出身。ニセコの大きな山の麓で伸び伸びと育ち、5歳でスノーボードと出会い、ヒラフのロングバーンで足腰を鍛えた。小学校4年でスノーボードキャンプに参加し、初めて見たプロの滑りに衝撃を受けプロに憧れを抱く中学からはクロスをはじめ、高校ではスノーボード部に所属し、長野で行われたFISレースにて高校生として初の優勝を飾りジュニアナショナルチー ム入り。シニアになってからも活躍を続け、ナショナルチーム、日本代表としてW杯を転戦する。大学卒業を機にクロスも卒業。もともと大好きだったフリースタイルの道を歩みだすと同時にK2 Snowboardingに加入する。近年では Fight for Libartyでの撮影活動もおこない、昨年はK2のインターナショナルトリップにも参加するなど、ノリに乗っている笑顔あふれるスタイラー。
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