EPIC SNOWBOARDING MAGAZINE

asa3000

仁科正史 / ASA3000「自分のやるべきことをやっていくだけ。それが俺の人生」

プロスノーボーダー、アーティストとして唯一無二の存在感を放ち続ける仁科正史 a.k.a. ASA3000。
デッかくそびえる北アルプスの稜線、北米大陸とユーラシア大陸のプレートがぶつかるその山々で磨かれた水と空気。生まれ育った大地からのインスピレーションを滑りとアートに投影し、長野県大町市から世界へ発信し続ける地球ロコ、ASA3000が描き続けるラインとそのルーツを探る。

 

Photos by Tsutomu Endo, Epic Snowboarding Magazine. Interview by Epic Snowboarding Magazine. Text by Masaki Kitae.
Special Thanks: Volcom, Yone Film, Sobut Brand, Influenza gogo.

 

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地元・大町市の市街地に残した壁画“Crystal Water Fall”

 

 仁科正史がこれまでに世界に発信してきたディープな北アルプスのスノーボーディングカルチャーは決して一言で語れるものではない。スティープなパウダーライドからコンクリートウォールやウォーターライドまで、あらゆるフィールドで魅せるパンチの効いたライディングは、コアなスノーボードファンの脳裏に焼き付いているはずだ。“スタイル”という曖昧になりつつあるその言葉の意義を改めて突きつけるかのような、強烈な個性と表現力。なにがあってもブレない人間性で物事に向き合い、コミュニケーションもすべて直球勝負。スジが通ってない話にはガッチリ詰め寄り、ハッピーな話はとことん花を咲かせる。自分の直感のままに生き、オリジナリティを表現し続ける漢、仁科正史。
 大町市の自宅兼アトリエを訪ねてゆっくりと話を聞いた。

 

 

仁科正史 遠藤 励
突出したオリジナリティが冴える一枚。スノーボーディングにおいてもフィールドは問わない

 

 

アートのインスピレーションはどこから得ていますか?
地球に生まれた意味だったり、地球に生まれた理由。人はどうして生まれた? ってところ。それが第一。あとは、地球に生まれた目で見える大自然から受けたヴァイブス。ここで受けたインスピレーション、ヴァイブスを表現しているね。

北アルプスの麓、大町市で生まれ育ったことが自身のスタイルにどのように影響していると思いますか?
やっぱりこの大町から望む山の見た目は、安曇野のなかでもほかの町とはちょっと違う。やっぱりバーンって景色が広がった場所で、毎日風だったり、匂いとか大自然の色が変わっていくのを感じて育って、そういういいロケーションに生まれて自分のセンスが磨かれたと思うんだよね。そこには雪が降ってスノーボードができて。そんな感じで自然と自分が作られていたんだろうなって思うね。やっぱり、いい空気と良い水、いい土があるところにはクリアにスムースにクリエイトされていく気がするだよね。それを世界にお披露目するっていう。

ASA3000の由来を教えてください。
由来? (笑)。サブタイトル的には、もう2000年代終わって3000年代いくってこと。1000年先を見てるから、っていう。うん、そういうこと。

スノーボーディングとアートの共通点はありますか?
スノーボードもアートも大自然からのインスピレーションを受けて遊ばせてもらっていて、そこから創作してるから、作品を作っていくって意味では一緒かな。あとはもうね、小さい頃からずっと山に登って一筆書きみたいなスノーボードをやってきたから。俺の絵もそれと一緒で、一筆書きのようなラインの世界で描いてる。

 

 


ASA3000 Live Paint at The Boss (Tha Blue Herb) / “In the Name of Hiphop” Release Tour In Matsumoto. Film: Yone Film


“Live Naturally Masashi “247” Nishina Version 2” Film: Yone Film

 

 

今までのスノーボードで滑ってきたラインがそのまま絵のラインになっている

 

アートのドローイングは滑るラインと共通しているんですね。
そうだね。やっぱりラインってことだよね。俺の絵はラインの重ねでできあがっている世界だから、やっぱり今までのスノーボードで滑ってきたラインがそのまま絵のラインになっていると思う。
ひたすらラインをいれて、色と太さをどんどん変えていく。まさしくスノーボードの延長だから。

近年の作品で渦のようなアートがASA3000を象徴している思います。このアートモチーフはどんなイメージから生まれたものなんですか?
まぁアレはね。急に来たんだよね。ここ地球に生まれてきたその道を描いているってことなんだけど。地球に自分のスピリットが生まれて来るときの道、タイムトンネルみたいなところ。

奥行きのある渦が象徴するのは道なんですね。
俺がやってるのはデザインとかそういうのじゃなくて、売れる売れないとかでもないし。自分のDNAだったり、スピリットの記憶を絵でやってるってことなんだよね。

好きな画材などありますか?
画材はなんだろうな。特別なものは別にないかな。なんせ俺は絵を描いてるだけの絵描きじゃないからさ。そもそも宇宙のアートを表現してるから、なんでもいいの。立体もやっているし、スノーボードでもいいし、なんでもいい。

 

asa3000国内外問わず、さまざまな場所で行っているライブペイント。Green.Lab中山二郎らによる長野・菅平で行われている野外フェス「森フェス」にて

 

 

正史さんのライディングといえば、指先から頭の先までスタイルを走らせている印象を受けます。
ほうかい。やっぱり生き方すべてがスタイルだと思うんだよね。そこにスキルがついてくると思うんだけど。スキルが先行してもダサいだけだからさ。でもスタイルだけ先行するってのもダサいとも思うんだよね。やっぱプロスノーボーダーとしてはちゃんとさ、スキルがありーのでやんないと、っていう話だと思うんだけどね。

ライディングスタイルを形成するものはどこからきているんですか?
俺のスタイルは、空手なんだよね。空手は、指先から足の先まですべてスタイルを出すってのが流派の違いであって、俺がやってたのは空手が生まれた一番古いおおもとの流派の沖縄剛柔流。小1で始めて小5で黒帯、18歳で先生やってた。滑っていて足をバァーって出すときとか、俺の場合は蹴りだから(笑)。その辺のアレとは違う。

プロスノーボーダーの活動を始めたのはいつ頃からなんですか?
スノーボーダーとしては20歳でスポンサーとお金の契約することになって。その頃は所属道場の館長から、ひとつ道場をやれって言われてたけど、プロスノーボーダーとしての道を選んだ。そっからずっとスポンサーを付けてスノーボードをやってきてる。

今のスノーボードシーンを見ていてなにか感じることはありますか?
スポンサーが付くまでは、親にサポートされずに自分のお金でスノーボードを買って滑ったらいいと思う。やりたいことをやるなら、人に頼らず自分でやるべき。まず自分でやんねーと。アーティストもプロスノーボーダーも自営業だから、どれだけ自分力を付けるかどうか。子どものころから、どれだけ自分力を付けていけるかっていうことが大事だと思う。

 

 

仁科正史 遠藤 励
Photo: Tsutomu Endo
パウダー上で板を横にしただけのスプレーと、フルカービングで蹴り上げるモノホンのスプレーの違いは一目瞭然

 

 

asa3000Photo: Tsutomu Endo
2005-06シーズンに惜しまれつつ終焉したSobut Brandの2004-05の広告ビジュアルより。
いまとなっては定番のひとつとなったストリートセクション、コンクリートウォールにいち早く着目し、数々の鮮烈な写真や映像を残している

 

 

アーティストっていうのは代弁者

 

 

これまでにスノーボードに関わる作品は何点くらい手掛けていますか?
そうだね。どのくらいやってきただろうね(笑)。Sobutのとき、モンゴリアンリーフって板を作って2~3種類やって。Replantでシグネチャーモデルをシェイプからグラフィックまで、すべて俺のオリジナルで作って、今までやって来たから、まぁ10本以上はやってるだろうね。

近年Green.Labのボードグラフィックを手掛けていますが、どのような経緯から始まったのですか?
やっぱり、Replantが活動を休止ってことでね、グラフィックとか、板のシェイプを出すこともなくなったけど、二郎(中山二郎・Green.Labディレクター)が「どうよ?」って誘ってくれた。すごい嬉しかったし、さすが仲間だと思った。Green.LabとPrana Punksは長野県にあって、地元の間伐材を板の芯材に使っている。もともとアーティストとして地球の循環ってところに賛同しているし、地場自産ですべてをやって行きたいと本当は思ってる。それを形にしているスノーボードメーカーって素晴らしいと思う。ちゃんと筋が通ってるっていうかさ、すごくいいことだと思うから賛同してる。やってること間違いないヤツっているじゃん? だからGreen.Labはいいなって思うんだよね。二郎の作ったシェイプに俺のグラフィックを乗せるってのはユニティ感があるし、全部自分じゃないからこそ、また面白いよね。それがこれからの新しい時代のやり方だと思う。

デザイナーとアーティストの異なる点は、どう感じていますか?
デザイナーとアーティストはまるっきり違うからね。俺の思うアーティストっていうのは、代弁者。地球だったり、宇宙だったり人々の代弁者でいたいなと思う。それを表現するのがアーティストだと俺は思ってる。

 

 

asa3000

和泉健太郎氏が大阪・二色の浜にかまえるUnity Kix Beach Resortに壁に命を吹き込む

 

 

今春にリリースした作品集『Conected to One』について聞かせてください。
ここ3、4年の作品のなかで気に入っているものをエンちゃん(同郷の写真家・遠藤 励)が写真を撮ってくれて、ふたりでセレクトしてまとめた。ふたりで作って、俺のなかではすごく大切な一冊。楽しかったな。タイトルの『Conected to One』はすべてはひとつに繋がっているという意味。

どのような方法で販売しているんですか?
俺が直接手渡しで売るか、気に入ってくれた人がまとめて買って売ってくれたり。一部のお店にも置いてもらってるよ。

 

 

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L→R Title: “Quiet Wave 2014”. Photo: Tsutomu Endo Location: Azumino Nagano 2014.
『Conected to One』より

 

 

展示やペイント活動について聞かせてください。海外でも積極的に動いてますよね。
ブラジルの友達が俺のアートはブラジルに合うんじゃないかって誘ってくれて、リオデジャネイロのギャラリーで個展をやることになって。1ヵ月くらいギャラリーで作品を作りながら住みついて、2週間は個展をやったよ。今年の7月は、サンフランシスコの近くのメンドシーノっていうギャラリーが多く集まっている場所があって、その街のアートセンターでライブペイントをやってきた。あとはスノーボーダーの健太郎くんがやってるUnity Kixの壁にもペイントしてきたよ。

アート活動における今後の展望などがあれば、聞かせてください。
今までスノーボードで培ったフィジカルを使って、大きな画を描きたいなと思ってる。体力あるうちに作れたらいいな。スノーボードもまさにそうだけど、体が動くうちは体を使うアートをやっていきたい。それと同時に小さな作品も作っていくけどね。展示に関しては、これまでにリオデジャネイロ、サンパウロで個展をやったり、ギャラリーに作品を置いてもらったりしたけど、ブラジルでの手応えがあるから、またブラジルでやりたいなって思ってる。

スノーボードとアートを使って表現していくラインは、今どんな方向に向かっていますか?
まだね、スノーボードもアートもやっていくんだけど、シンプルに自由にやっていきたいなと思ってる。

いまASA3000が見据えている野望はありますか?
自分の作品が世界に出てなんとかとか、表彰されたらいいとか、一切思ってない。山とアートとスノーボードと接して、日々真面目に向き合って暮らしていく。自分のやるべきことをやっていくだけ。それが俺の人生なんだよね。

 

 

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Masashi Nishina a.k.a ASA3000
1977年5月、長野県大町市生まれ。プロスノーボーダー / アーティスト。幼少時代からの空手、師範の経験を活かしアートやスノーボードに向き合い、オリジナルスタイルを探求。スノーボードカルチャーのシーンの最先端を突っ走り、Sobut Brand、Replant Snowboardsより数々のプロモデルをリリース。スノーボードカルチャーマガジン“Hand”の発行や、スケートボード、DJ、MC、パーカッション、そしてドープなパーティのオーガナイズなど、あらゆる手段で発信を続ける表現者。

スポンサー:Volcom, Hand
Instagram: @asa_3000_