EPIC SNOWBOARDING MAGAZINE

danimals ダニマルズ

DANIMALS「フルパートはプロスノーボーダーの活動にとって一番重要なこと」

初めて会ったのは4年前。当時20代前半の青年ながら、独特のレイドバックした喋り口調で落ち着いた雰囲気を醸し出していたダニマルズ。
日本人にも似た謙虚さと誠実さをもつアメリカのビデオスターに、育った環境やスノーボーディングに対する考え方を聞いた。

Interview by Epic Snowboarding Magazine, Photo by Yoshi Josef Toomuch, Special Thanks: Ride Snowboards

 

スノーボードを初めたのは何歳だったの?
5、6歳かな。だからたぶん20年くらいはやってることになるね。でもリアルスノーボーディングって感じでもなくて、Walmartに売ってたタイダイ柄の超チープな板を、両親からクリスマスプレゼントで貰って始めたんだ。

ダニマルズとダン以外のおもしろいニックネームはある?
ほかにニックネームはないよ。いや……あったな(笑)。クリス・グレニエがオレのことをダートバイク・ダンって呼び出したこともあったよ。

それはなんで?
よくわかんないけど、何年か前にクリスの家に1ヶ月以上もいたことがあって、そのときは少しでもチャンスがあるといつもダートバイク(モトクロス)に乗って遊んでたんだ。それからいきなりダートバイク・ダンって呼ばれだしたんだよね(笑)。それ以外のニックネームはないかな。

なるほどね(笑)。影響を受けたスノーボーダーはいる?
もちろん。昔から見てるわけでもないのに変かもしれないけど、今日本にいるからか日本のライダーばかり浮かんでくるよ。日本のライダーの滑りはリスペクトしてる。最初に日本に来たツアーのときに一緒に滑ってた優作(堀井)やマッキー(北江正輝)もそうだし。自分にとって優作とマッキーは日本との最初のつながりだからね。あと仁(斉藤)も一緒に滑ると最高に楽しいスノーボーダーのひとりだよ。

 

ハイランドで出会った友達がなによりも自分の財産だと思ってる。

 

滑り始めた頃に影響を受けたのは?
最初に影響を受けたのはプロライダーとかじゃなくて、初めた頃から一緒に滑ってる友達だね。ミネソタローカルのプロライダーで言えば、リッキー・タッカー、ジョナス・ミシェロ、ザック・マーベン、ジョン・ホッジとか、俺の周りはみんなが憧れていた。彼らはホームタウン・ヒーローみたいなものだよ。

ミネソタでスノーボードをはじめた頃はどんな環境だった?
ハイランドっていうホームマウンテンから車で8分のとこに住んでたし、いい環境だったね。親たちにとってスキー場は託児所の代わりになってたよ。シーズンパスのほうがデイケアに毎日預けるより安いし、冬はほぼ毎日ハイランドに行ってた。たくさんのスノーボーダーと出会う機会があるからすごく良かったと思う。ハイランドで出会った友達がなによりも自分の財産だと思ってる。

ちなみにジェイクOEとジェイク・デュラハム(フィルマー)は同じ世代?
ジェイク・デュラハムは同い年で、いつも一緒に遊んでたよ。ジェイクOEはひとつ上の世代の一番若い人っていう感じ。ジェイクのBald E-Galのヤバいパートをもちろん観てたけど、子供の頃は遠い存在で全然喋る機会もなかった。彼のスタイルは一番かっこよかったし、ミッドウェストでも当時から自分らしくやりたいことをやっている感じで、かっこよかったね。

ミネソタのシーンは層が厚いイメージがあるけど、ハイランドのローカルでもいろんな世代の人たちがいるでしょ? みんな仲いいの?
年上のみんなとも今は普通の友達みたいな関係。年はそこまで離れてないけど、今は自分たちの下の世代もいるしね。トミー・ゲズメとかクレイグ・キャメロン、ベニー・ミラムとか。今ハイランドにいるみんなは世代関係なくハングアウトするし、リスペクトし合ってるよ。

 

気鋭フィルマー、ジェイク・ドゥラハムがハイランドローカルの日常を切り取ったスーパークールなハイランドエディット

 

スネークされたとしてもいいトリックを決められたら「イェー! 今の超ヤバい」って感じでストークしてるよ。

 

日本にはロープトウのパークがあまりないから気になってたんだけど、ハイランドローカルのルールとかってあるの?
ルールといえば基本的にはドロップインのコールをするのと、人の邪魔をしないってことくらいかな。上の世代の人らが滑ってるときに、もし間違えてスネークでもしたら怒鳴られる感じだったけどね。スネークはご法度だった。でも当時の上手い人はそんなルールはまったく関係なく自由に滑れたんだ。

そういう経験してると自分の中で燃えてきそうだね。「うまくなってやる」ってなるよね。
そういうものだよね。友達がジャンプのランディングで年上のヤツの邪魔をしちゃったときは、首根っこ掴まれて「ウサギちゃんゲレンデはあっちだぜ」とか言われてたこともあった。要はお前ら立ち去れって言われたんだけど、そのまま滑ってたよ。もちろんなるべく邪魔はしないようにしたけどね(笑)。

日本では理由もなく年上のほうが偉いっていう考え方があるけど、それはアメリカも似たような感じなんだね。
今はまったく違う。若い子たちに偉そうにする人間はいないね。今はパーク内で止まらずにみんなノンストップで滑ってるから、昔だったらスネークするなって怒鳴られるような滑り方でみんな流してるけど、誰も怒ったりはしない。今の子たちは本当にみんな上手いよ。スネークされたとしてもいいトリックを決められたら「イェー! 今の超ヤバい」って感じでストークしてるよ。

 

フルパートはプロスノーボーダーの活動にとって一番重要なこと

 

ここ数年はシーズンをフルパート撮影に費やしているけど、フルパートについて意識することとか自分の考え方を教えて。
フルパートはプロスノーボーダーの活動にとって一番重要なことだと思っているよ。自分自身も数々のライダーたちのフルパートを観て育ってきたからね。気に入ったビデオの好きなパートを何回も何回も観てた。ヤバいパートを残しているライダーは当時の自分にとっては神様みたいに思えたよ。何度も観るうちにそのパートが記憶に刷り込まれていって、自分にとって「何がスノーボードなのか」っていう感覚を作っていくんだ。

その頃と今の違うところは何だと思う?
インターネットの存在。インターネットやインスタグラムにアップされる手軽な映像も多いから、シーズンをかけてどんなに努力してフルパートを撮影しても、観る側にとってはほかのインスタ映像と同じく忘れてしまいやすいものになっていると思う。フルパートは最高にクールなものだけど、今のシーンにとっては昔ほど大切な存在ではないのかもね。

情報が多すぎて、シビれるくらい印象深いパートじゃないと人の記憶に残らない時代なのかもね。フルパートの発信についてよくなった点はあると思う?
前と比べてよくなったのは、自分のフルパートに時間を掛けられるようになったこと。それはスケートの業界と同じ道を辿っていると思うけど、例えば2年掛けてずっと撮影して、ベストな映像をパート用にキープして、ほかのいい映像は短いエディットでオンタイムで発表するサイクルで動ける。1シーズンという短い期間で撮ったパートだけをを出すのもクールだけど、今はいろんな発信方法があって、自分がなるべく納得できるパートを作る時間がある。身体のダメージを考えてもいい方法だしね。みんながインターネットで多くのフッテージを観る機会が増えたからこそ、フルパートに求められるクオリティはものすごく高いと思う。

 

Videograssなどのフッテージを再編集した2013年リリースのリミックスパート

 

ミネソタにいたりトリップに出たりすると思うけど、シーズン中はどんな動きしてるの?
撮影トリップ以外ではずっとミネソタにいてハイランドで滑ってるよ。でもここ2年はVansのムービープロジェクトに参加してたからほとんど地元にはいなかったな。1トリップで2週間以上は動いて、地元に戻って2日くらい滑って、1日はギアを乾かしてまた撮影トリップに出るルーティンの繰り返しだね。

Vansの『Landline』の撮影はどんな動きをしてたの? 大きいプロジェクトだからライダーにとってはビッグチャンスだよね。
撮影はかなりうまくいってるね。一昨年から動いてる2年プロジェクトで、俺は去年に途中参加したんだけど、すごくいい感じだよ。今までで一番バックカントリーで滑ったシーズンになった。ユタには1ヵ月以上いたし、お金貯めてスノーモービルをゲットしてウィスラーでも撮影した。そのあと日本にも行けたし。レールトリップもフィンランド、ドイツ、チェコ、ロシア、あとは地元からすぐ近くのミシガンにも行った。訪れた場所はどこもいい土地だったし、いい経験ができて感謝してる。

ジャパントリップはどうだった? 北海道に行ったんだよね?
そう。旭岳にVansのトリップで行ったんだけど、ハイクで山に入って、ジャンプ作ったりスラッシュやターンの撮影もした。今までそんなふうに山で過ごす経験はあまりなかったから楽しかった。俺はバックカントリーの経験が浅いけど、一緒に行ったブレイク・ポールはバックカントリーに慣れていたし、フィルマーのジェイク・プライスも経験豊富だしね。ジェイクは「飛べそうなものや当てれそうな壁があったらとにかくヒットしようぜ。見つけたらすぐに撮影して次のスポットに移動しよう」って感じで撮影をリードしていた。ストリートとのスポットとはまったく違う撮影の方法なんだってことを、彼から学んだよ。

ストリートとバックカントリー、撮影の進め方はだいぶ違うよね。ダニマルズが感じた一番の違いは?
ストリートだったらスポットをじっくり探してセットアップしてからヒットするけど、バックカントリーではそんな時間はない。とにかく雪がいいその瞬間にヒットしなければいけないし、日照時間も限られるから撮影が済んだらすぐに次のスポットに移動しなければならないしね。

日本とアメリカ、スノーボーダーの本質は一緒だと思うけど、ライディングもブランドも見てもそれぞれのシーンには違いがあるよね。アメリカのシーンは今どんな感じなの?
スノーボーディングっていう行為で言うと、違いはないと思うよ。ライダーでもそうじゃなくても、みんな仲よくて一緒にハングアウトしてる点は日本と似てると思うな。スノーボードブランドは今はすごくいい感じだと思うよ。俺のスポンサーのカンパニーのことしか知らないけど、みんなはただの商売でやってるんじゃなくて、本当にスノーボーディングが好きだからね。お金だけが目当てでやるなら例えばゴルフとかほかの業界に行ったほうが簡単なんだしさ。みんなスノーボードが好きでやってるから最高にクールだと思うよ。

 

パークレールだったら50歳になってもやってると思うけど、これからは違うことにも挑戦したい

 

ずっとストリートをやってきてて、最近バックカントリーもやり始めたダニマルズだけど、今後やっていきたい滑りや突き詰めたいフィールドは?
間違いなくバックカントリーだね。今はレールやストリートでの撮影も好きだしやめることはないけど、ジャンプもパウダーも好きだからもっとバックカントリーをやりたい。特にパウダーは俺が育ったミネソタでは経験できなかったことだしね。それに10年後の36歳になってもストリートのキンクレールをヒットしたり、むき出しの階段でコケたくない。それは勘弁だな(笑)。今はまだストリートレールもやりたいし、ハイランドのパークレールだったら50歳になってもやってると思うけど、これからは違うことにも挑戦したいね。

 

danimals ダニマル ride snowborad ライド

2017年の春には「Minakami Vibes」にて日本のボウルを初体験。どんなテレインでも楽しめるのはオールラウンダーである証拠

 

5年後は何してると思う?
なんだろうな…。雪がいい時期に日本に来てパウダー滑ってるかな。その頃には若いライダーも一緒に連れてきて、いろいろ教えたりしてね。そうやって世代がまわるし、クールなことだね。まさにそう。自分のやりたいこともやるけど、下の世代にも教えることもあるしね。めんどくさいオジサンになりたいわけではないけど(笑)。

じゃあ、15年後は何してる?
遠すぎてわかんないよ(笑)。うーん、15年後か…確実にスノーボードはしてるね。滑ること自体好きだし、それは絶対に変わらない。スノーボード業界の人たちも好きだけど、その頃に自分が深く業界に関わっていることはないかな。スノーボード以外に好きなこともいっぱいあるし。

あだ名がダートバイク・ダンだしね(笑)。
そうそう(笑)。あとは自分の手を使ってなにか作ることも好きなんだ。例えば自分の手で家を建てて、その家を見上げた時なんかすごくいい達成感があると思うし。夏にスノーボードができないことは悪いことじゃなくて、冬にスノーボードができるという環境にも感謝が増すから、いいことだよね。

それがいいヴァイブを保つ秘訣なのかもね。ダニマルズは何歳になってもずっとスノーボードしてるのは間違いなさそうだね。
そうだね(笑)。

 


 

danimals ダニマルズ
ダニエル・ジェームス・リーダル a.k.a. ダニマルズ
アメリカ中西部・ミネソタ州出身。’91年1月に芸術家の父と教師の母親の間に生まれる。数々のトップライダーを輩出するスキー場、ハイランドヒルズのローカル。センス溢れるトリックチョイスとスーパースムースなレール捌きで多くのファンを魅了するストリートスノーボーダー。
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