EPIC SNOWBOARDING MAGAZINE

近藤勇二郎

近藤勇二郎 / YUJIRO KONDO「旅人でも行かないようなところへ」

撮影というスノーボーダーとしてのあり方を近藤勇二郎の残す写真と思考とともにそのスノーボーダーとしての原動力を探った本インタビュー。
撮影を軸とする滑り手ならではの出来事や感覚は、今最前線で活躍するライダーをはじめ、スノーボーダーという民族に興味のある方々にご一読頂きたい。

 

All Photos by Juan Aizupuru. Interview by Epic Snowboarding Magazine.
Special Thanks: Garage INC.

 

 ライダーにはさまざまな活動のアプローチがある。ライディングで高みを目指すもの、作品を残して影響を与えるもの。スノーボーディングの魅力をさまざまな形で伝えるもの。その形に決まりはなく、可能性は無限で自由。

 ヨーロッパをはじめ、世界各地の大陸の雪山へと向かい撮影を続けるスノーボーダー近藤勇二郎。コンテストシーンで活躍したのち、パークプロデュースや雑誌やムービーの撮影など、これまでにも活躍は多岐にわたる。北欧のアルプス山脈をはじめ南米など、一筋縄ではたどり着くことさえままならない斜面を求めて、「滑りたい」というパッションを原動力に冒険を続けている。それは常人の思考とは程遠い、生粋のスノーボーダーであるに違いない。

 

 

近藤勇二郎

北海道での金色に輝くマジックアワー。澄んだ空気と光と影がもたらす陰影は奥深い。

 

 

1年を通してどんなスノーボードのライフサイクルを送っていますか?
その年によって差があるんで答えるのは難しいけど、1年の半分を山にいたいと思っています。シーズン前半は北海道にいることが多くて、カメラマンのフアン・アイズプルと動いてます。中央や利尻も行くけどニセコ山系が多いですね。あとは日本の冬を挟んで海外の山にもいます。登っては滑って、それを撮ってもらってます。海外に行くときもあれば、行けないときもあるんで、思うようにはいかないけど。場所選びもタイミングも難しいけどそれも面白いです。スカンジナビア行ってみようとか、パタゴニア行ってみようとか。

日本でのベースは北海道ですか?
ベースとは言えないけど、きっかけはカメラマンのフアンと日本で合流するときに北海道を選びました。当時は北海道に思い入れはなかったけど、今は好きな場所ですね。

フアンとの出会いやどんな動きをしていますか?
フアンとは何年くらいになるんだろう。6年ぐらいですかね? 以前は冬もヨーロッパで過ごしてたんですけど、そのときにバスコという、フアンみたいな活動をともにするカメラマンがいたんです。で、彼が撮影から遠ざかるときにフアンを引き合わせてくれたんです。

勇二郎君がハーフパイプからバックカントリーや山岳に本格的に入っていったのはいつ頃からですか?
いつからってのは覚えてないけど、きっかけはヨーロッパのビデオクルーと動いてたときだと思います。4年くらい一緒にやらせてもらったんだけど、そのときに僕がやっていたことっていうのが、地形使ってキッカー作ったり、クリフ落としたり、飛ぶことにフォーカスしたスノーボードだったと思うんですよね。もちろんそれはそれで良い時間だったんだけど。そういう撮影を繰り返すうちに、斜面に対する見え方が少しづつ変わっていったと思うんですよね。で、最終的にそのクルーも転換期があって辞めてしまったけど、そっからもっとスノーボードが楽しくなっていったことは確かです。

 

 

近藤勇二郎

単身ヨーロッパへ乗り込み撮影に参加した出演作、Random Video Production 『Too Much Too Serious (’10)』 Teaser

 

 

ヨーロッパでとくに気に入ってるフィールドはありますか?
スイスですね。アルプス山脈ってのが、東はオーストリアから西がフランスの南まで続いてて。そんなかでも標高4500m前後の山がまとまっているのがスイスアルプスです。僕はそこでもとくにペンニネアルプス山脈が好きですね。

 

 

近藤勇二郎

前述のペンニネ山脈に位置する標高4527m。リスカムピーク付近にて

 

 

南米にも行っていましたが、どんなところですか?
パタゴニア(南アンデス)はスノーボードっていうイメージがなかったけど興味をそそられて、行きました。北アンデスには、みんな行くと思うけど。

多くのビデオクルーも行くチリなどですか?
うん。北は良い雪を当てやすいと思うんです。でも、そっちに行ったらたぶん僕らと似たようなスノーボーダーがいるだろうし、それなら旅人でも行かないようなところへと思って。

それはライディングをしたいっていう気持ちと、冒険心と、写真を残すということと、バランスはどんな感じなんですか?
バランス、難しいですよね。まぁ、でもきっとスノーボードをしたいっていうのが1番で。そこが1番じゃなかったら撮影も旅もできない。写真は最初から行く以上絶対に残すつもりでやってます。冒険って意味ではアンデスの最南端は強烈でしたよ。

どんな斜面を滑ったんですか?
自分のスノーボード史上、最強の斜度で。登りも滑りも一歩間違えたらヤバいやつでした。しかも全面氷で。

 

 

近藤勇二郎

 

近藤勇二郎

斜度がきつすぎてアイスアックスがまともに刺さらない、地上最南端の地で最後に選んだ斜面セロ・ドモ・ブランコ

 

 

うわー。
そのときに思ったのが、まだ俺の知らないスノーボードっていうものが、そこらじゅうにあるんだって思いました。全然自分ダメ、滑れないじゃん、みたいな(笑)。だから、向上心が行動力を作ってくれるとこもあると思います。その逆もあるだろうし。旅をしてスノーボードをすることで、普段持たない感情があるのか、なんなのか分からないですけど、そこで出てくる集中力だったりとかモチベーションっていうのは少し特別な気がします。ダブルアックス(ピッケルを両手に持ち移動すること)で登るような面は集中を切らしようがないですけど。

グレイシャーと言われるような標高の高いところで活動するのに、山岳のトレーニングとか勉強もしていますか?
そうですね…。よくやるトレーニングが雪のない岩壁を使うんですけど、スノーボードブーツを履いていつもの装備でロープワークを練習します。ヘルプレスキュー、パートナーレスキューですかね。自分や相手を助けるスキルは最低でも持っておきたいです。日本でもできますけど、ヨーロッパにいるとそういうトレーニングが取り組みやすいんじゃないかと。たとえば対象を持ち上げるとき、3 to 1なんかのロープシステムを使うんですけど、簡単に言えばプーリーで支点を作るんです。そうすると引く力が倍以上になる。もし僕がこういったトレーニングなしに氷河上で問題に直面したら怖いです。少なくとも自分の出来る範囲っていうものを把握しておきたいですね。

 

 

近藤勇二郎

ヨーロッパアルプスではこういったトレーニングに取り組みやすい環境が整い、山岳での遊びが老若男女問わず愛されている。氷河のアタックには欠かせない山岳トレーニング

 

 

これまでに沢山の写真を残してきてると思うんですけど、とくに思い入れのある写真はありますか? ヒストリーも聞きたいです。
…そうだな。どれも思い入れはあるんですけど(笑)。僕がヨーロッパで山に入りはじめたときに、スノーシューに限界を感じたんですね。距離的な問題で。ヒュッテ間の移動やクラシックルートを辿ることもあるし、クレバスも怖い。だからスプリットボードをDeath Labelの大川さんに作ってもらいました。そのスプリットに慣れてきたころにその大切な板を流してしまったんです。

スイスですか?
スイスですね(笑)。ピーク付近でギアのセッティングしてたら強風でポールが飛ばされて。まあ、刺し方が悪いんですけど(笑)。その山行は板を流してしまって本当に苦労しました。

雪を求めて世界の山々を探求する原動力的なモチベーションはどこから湧いていますか?
どっから湧いてるんですかね(笑)? 自分を奮い立たせてどうのって感じではないです。登ったり滑ったりするモチベーションよりは、その旅にかかるお金を作るモチベーションのほうが重要かなっていうところです。

スノーボードするために?
そうそうそう。スノーボードに対するモチベーションはもうずっとあるので。全然消えようがない火なので。まぁ、それより色んな山で滑るための資金作りです(笑)。

資金作りのコツはなんですか?
そう、そこがちょっとね。難しい。夏場働いて冬はスノーボードだけ。それを今は目標にしています。うまくいけば一生そうしたい。そしたら一生冬のあいだ滑れるじゃないですか。答えになってないですけど。

 

 

そこにカメラがなかったら、自由気ままに滑る。でも、それだと、楽しいだけのスノーボードで終わる

 

 

フアンと撮影を続けて、6年ぐらいって言ってましたけど、撮影におけるコミュニケーションは自然と重ねていった感じですか? やっぱり阿吽の呼吸というか空気感と判断がとても大事だと思います。そういうコミュニケーションってどんなふうに取ってったんですか?
そこって、たぶん一番難しいです。今でもそうですけど、思い通りにいかないことも多くて。どっちかが駄目だったり、お互いに駄目だったり、コンディション的にどうしようもないときもあるし。そういうときにどうしても、こう、生まれる負の感情ってあるじゃないですか。お互いに。でも、そういう気持ちのやりとりって今になってなんとなく分かるようになったってだけで、最初の頃なんてお互い何を考えているのか分からない。でも、その度にそれについて話してたら、前に進めない、もうそれはそれだとして、やり続けていくというか。だから、言葉はたぶんあまり交わしてないんですけど、そういった作業を繰り返して、今の撮影スタイルに至ってるんじゃないのかと。最近になってようやく良いテンポで残せるようになってきたって思います。だから、もっとお互いが納得いけるようにやりたいし、やっていけるんじゃないかなって思いますね。ぶつかったりすることもありますけど。

いろいろありますよね。
いろいろありますよ、本当に。お互いに母国語じゃない英語を使って無線でやりとりしてるんで。

初めて行く斜面だとなおさらライダーの見てるラインとカメラマンの見ているラインだったり、そういう難しさってありますよね。
ほんとにそれ思います。当たり前だけど目線が違うんですよね。滑り終わってモニターで見て、あー、さっき無線で言ってたのってこうゆうことかって理解する(笑)。でも、ライダーからしたら、斜面の先なんか見えてないわけで。そのときの本能的な回避や判断もあるじゃないですか。

そうですね。
でも、フアンの撮りたいフレームをある程度理解できてれば良いのが残りやすいだろうし。信頼関係はもちろんだけど、やっぱり言葉の問題も出てくるし。僕の英語も癖があって、相手の英語も癖があるから、そこはもっとお互いの英語を近づけようって思います(笑)。

お互いに状況の共有とイメージの疎通が合ってこそ、引き合いが生まれますよね。
引き合いがあって、それが上手く行ったときって、もう最高ですよ。例えば、ドロップする前に、よし、あそこ行って、あそこあててみたいなイメージ持つじゃないですか。そのイメージ通りに滑って、かつ、カメラマンもイメージ通りにいくことって、たぶん、かなり稀なんじゃないかな。滑りに集中するのは当然だけど、フアンは俺をこういうふうに見てるっていうイメージを残しておかないと。その方が結果、笑って終われるのかなって思います。撮れ高に対して今日は良かったとかそういう話は1度もしたことないけど、あとで振り返ったときに、あぁ、これは息が合ってたよな、とか、駄目だったなとか、思うところはありますよね。

 

 

近藤勇二郎

スイスアルプスは標高が高く、吹き荒れることも多いため雪が深々と降り積もることは珍しい。たまの新雪は驚くほど軽く、その喜びは格別

 

 

単純に滑ることも理由かも知れないけど、もしかしたら、そういうセッションが自分を駆り立てるモチベーションに繋がっていくのかもしれないですね。
それはありますよね。そこにカメラがなかったら、自由気ままに滑る。でも、それだと、楽しいだけのスノーボードで終わるというか。自分がライダーでいる理由がゼロになる。写真にしても動画にしても、自分をプッシュしてくれるし。原動力になりますよね。

勇二郎君が写真や映像を残すことの意味とはなんですか?
意味かぁ。難しいですね。自己顕示欲なんじゃないですかね。結局のところ自分が上手くなりたいっていう気持ちでスノーボードやってるなかで、その過程を収めてもらえるって、凄いありがたいことだなと思う。あとは、サポートしてもらってることに対して、こんだけやってるよっていう気持ちを見せたいっていうのは、最低限ありますよね。サポートしてもらってる以上、俺はこうやってますよっていう。お世話になっている人から「あぁ、勇二郎やってるねぇ!」みたいな。そんなセリフ聞いたら内心めっちゃ嬉しいです(笑)。その一言でその次の1年も、よっしゃ、やったろみたいな感情が生まれてくるので、さっき言ってたモチベーションの話じゃないですけど、いろんな理由で動いてるなっていうふうに、今話してると思いますね。うん。

 

 

近藤勇二郎

常人な旅人では簡単には近づけないアルゼンチン・パタゴニアグレイシャー。スノーボーダーとしての旅の終わりは果てしなく、まだまだ続く

 

 

 

 

近藤勇二郎
近藤勇二郎 / Yujiro Kondo
1978年1月6日、愛知県生まれ。コンテストシーンを中心としたプロライダーとしてのキャリアを経て、今では世界各地の氷河をはじめとするアルパインスノーボディングまでをも追求する、日本のスノーボードシーンにおける稀有な存在のひとり。Death Label Snowboardsのキーパーソンであり、冒険心溢れる旅するスノーボーダー。

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Instagram: @yujirokondo